2度目のクアラカンサー   

 両親とともに戦争中の父の思い出の地、クアラカンサーを訪れてから25年が過ぎた。両親ともにすでに他界し、今回、妻と二人でマレーシアへ行くことにした。当時はまだ普及していなかったインターネットでいろいろと調べることができ、多くの情報を得ることができた。

 マレーシアへ行くならばもう一度クアラカンサーへ行ってみたい。当時のマレーシアの鉄道は線路状況が悪く、スピードを出して走られるような状態ではなかったが、2010年からウエスト・コースト線で特急列車の運行が始まっている。KLセントラル駅からクアラカンサー駅まで3時間余りで行くことができる。

 父が手記で書いているが、クアラカンサーにはお気に入りのレストランがあったようだ。前回行ったときは車でクアラカンサーの観光スポットを数か所行くくらいの時間しかなく、そのレストランが50年後の当時にもあるのかどうか調べることもできなかった。

 父が行ってから70年以上が過ぎたが、今でもそのレストランはあるのだろうか。インターネットで「双獅園」を検索したら、父の手記を見た日本人の方が双獅園へ行ったという書き込みがあった。レストランの写真もあり、雙獅園酒家旅店 DOUBLE LION RESTAURANT & HOTELと表示されている。気になるのは1964という表示があり、父が行ったのは1943年だから、それが創業した年だとすると別のものということになる。

 DOUBLE LION HOTELのフェイスブックがあったので、直接聞いてみることにした。アカウントを作り「1943年に私の父はクアラカンサーに滞在し、DOUBLE LION RESTAURANTへ行ったと手記に書いています。」とメッセージを送ってみた。数日後「レストランの創業は1930年代で、私たちは3代目です。」との返事が来た。これで間違いない。父が行ったレストランは、70年以上過ぎた今でもクアラカンサーにあった。その後、数回メッセージのやり取りをし、近いうちにクアラカンサーへ行く予定であると伝えた。

 クアラカンサーへ行くことを決めたが、すでに成田−クアラルンプール往復の飛行機とKLセントラル駅近くのホテルを予約してある。イポーかクアラカンサーで1泊したかったが、今回もクアラルンプールからの日帰り旅行となった。KLセントラル駅を8時30分に出発。イポーへ寄り観光をしたのち、クアラカンサーへ行きレストランを訪れ、夜9時過ぎにKLセントラル駅へ戻ってくるという少しハードな日程となった。

 ETSという特急列車はインターネットで予約ができ、さらに座席の指定までできる。予約できるサイトはいくつかあったが、一番安心できそうなマレーシア鉄道公社(KTMB)のオリジナルサイトを利用した。クレジットカードで支払いをし、プリンターでA4のコピー用紙に切符を印刷したが、本当にこれが正式な切符と認められるのだろうかと思うくらいである。



 その後、レストランへ訪問する日時を連絡したが、日本を出発するまでに返事が来なかった。最悪、レストランが休業日だったとしても、この目でレストランを見ることができればそれでいい(後日談だが、日本を出発した後に「何時の列車でクアラカンサー駅に着きますか」とのメールが届いていた)。

 クアラカンサーへ行く日がきた。切符には「発車時刻の30分前までに駅に来てください」と記載されているが、改札が始まったのは発車20分前だった。KLセントラル駅が始発の列車なので、ホームを歩いて列車の先頭から最後部まで見てから乗車。車内は一昔前の日本の特急列車という感じ。イポーまで2時間30分くらいで、料金は35リンギット。日本円で1000円ちょっとというところ。

 KLセントラル駅を定刻に発車した列車だが、クアラルンプールの中心部を走っている間は朝の通勤時間帯に入っているためか、スピードも上がらず徐々に遅れが出ている。郊外に出ると急にスピードが上がり、南国の景色の中を走ってゆく。車内にはスピードメーターもあり、時速100キロメートルを超えるスピードで北へと向かってゆく。

 15分ほど遅れてイポーに到着。あらかじめ調べておいた駅近くの店で昼食を取ってから、歩いて市内を回った。気温は30度を超えているが、それよりも日差しが強く、次第に軽い熱中症のような体調の変化を感じてきた。妻も同じ様子なので無理をせず駅へ戻ることにした。昨日、日帰りツアーでマラッカへ行ったときに、ガイドさんから100PLUSという飲み物を教えてもらった。スポーツドリンクのような飲み物で、体調の悪いときには医者も勧めるという。売店で買って飲み、少し冷房の効いている待合室で休んでいるうちに体調も回復してきた。

 イポーから再び特急に乗りクアラカンサーへ向かう。発車時刻を過ぎても改札は始まらず、駅員もお客も何もないように平然としているので待つしかない。20分ほど遅れてイポーを出発。次の停車駅がクアラカンサーなので30分しか乗車時間がない。車内改札に来た車掌が急いで袋に入った飲み物とお菓子を持ってきてくれた。この列車は全席がPLATINUMクラスなので、少し料金が高い代わりに飲み物とお菓子が配られる。

 クアラカンサーで下車したのは私たちだけだった。駅は最近建てられたばかりのような橋上駅で、おそらくETSの開業に合わせて作られたのだと思う。改札口に向かう階段を上ろうとしたら、駅員らしき人にホームから直接外へ出るように案内された。事前にGoogle mapのストリートビューで駅の様子を見ていて、タクシーやバス乗り場の案内表示があったのだが、それらしき車は1台もいなかった。街の中心にある観光案内所へ行って話を聞きたいが、この日差しの中を歩くしかない。

 クアラカンサーの街

 マレー大学の前を通り10分ほどで到着。いくつかの観光スポットを見てからレストランへ行きたいのだが、近くにあるタクシー乗り場まで行かなければならないそうだ。この暑さではまた体調を崩しそうなので、セブンイレブンで大きめの100PLUSを買ってから教えてもらったタクシー乗り場へ向かう。

 そこには長距離バスの発着所があり、クアラルンプール行の乗り場などがあるがタクシーの姿が見えない。ウロウロしているうちに、隣にタクシーの営業所があることを発見。そちらへ歩いてゆくと、運転手らしき人が私たちに気づいて声をかけてきた。行きたい場所を知らせ、料金交渉をしてからタクシーに乗った。行くのはクアラカンサーでは外すことのできないスポットで、いずれも前回行ったところだが、妻にとっては初めての場所。

 最初はウブディアモスク。マレーシアで一番美しいとも言われているモスクだ。次は王宮博物館。インターネットの情報では工事のため休業中らしかったが、やはりそうだった。金色の模様が美しい建物の姿だけを見てきた。最後は現在の王宮。運転手お薦めのビューポイントから見ているうちに、遠くで雷鳴が聞こえ雨も降り始めた。

 ウブディアモスク

 いよいよレストランへ到着。ホテルと棟続きで、いかにも南国のレストランという壁のない作りで開放感がある。おかみさんらしき人が来て「宿泊か?」と言う。違うと言うとさらに「食事か?」と聞いてくる。「父が70年以上前にここへ来たことがある」と話すと、ようやく席へ案内され話を聞き始めてくれた。

 フェイスブックを通じて連絡していたことが伝わっているかどうか分からないので、一通り話をした。そのうちに彼女の兄も来て話に加わってくれた。当時のレストランは現在の建物の隣にあったそうだ。そして、保存してある当時のメニューを見せてくれた。父もこれを見ていたのかもしれないと思うと、心にしみる思いがした。漢字と英語が併記されているので、何となく内容は理解できた。父が飲んだと書いているコーヒーは見つからなかったが、アイスクリームがあった。電気事情も良くなかったと思われる当時、どうやって作っていたのだろう。



 「1泊してくれれば、あちらこちら案内ができたのに…」と言われたが仕方がない。降り出した雨は次第に強くなってきた。駅まで行くのにタクシーが必要だなと思っていたところ、車で送ってくれると言われた。そして途中に妹夫婦の家があるので寄ってゆくかと聞かれた。一般家庭を訪れる機会は貴重なので寄ってもらうこととした。

 広い敷地に平屋の家。庭には南国の植物がたくさんあり、奥さんが一つ一つ教えてくれた。かなり裕福な家庭と思われたが、旦那さんは医者だという。先ほどと同じように、父が戦争中にレストランを訪れていたことや、南国のフルーツは日本ではとても高価だなどと話しているうちに、列車の時間が近づいてきた。

 クアラカンサー駅

 最大の感謝の言葉を伝えて、レストランのおかみさんと駅で別れた。ほんの数時間しかいられなかったが、私の人生で忘れられない日となった。本当に来てよかった。

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