6.最前線へ

終夜の敵機
  昭和19年3月10日頃、いよいよ「チンドイン河」渡河の日も近付い た様だ。
  速射砲中隊にも前進命令がきて、渡河点附近に移動した。
  その頃から敵機の飛来が昼夜を問わず、全然爆音の絶え間なく幾日も 続き、わが軍の進撃を察知しての行動かと思われた。
  すると聯隊本部より、敵の空挺部隊がグライダーを引いて「インドウ 附近に」、一夜にして飛行場を作り、大砲、戦車、兵員を輸送し後方攪 乱を策している、との情報が入った。
  わが軍の渡河点を察知される恐れがあるから、各隊は斥候を出し敵の 行動を監視せよとの命令が出た。


赤い巻脚拌
  私と古川伍長は渡河点付近一帯の偵察を命ぜられ、度胸のよい古川は こんな所に敵が来るはずがない。
  「命令ならば仕方がないからなあ」
  と、気の合った二人は、特別警戒もせず足にまかせて遠くまで来てし まった。
  陽が傾きかけて、慌てて引き返したが途中で暗くなってしまった。
  夜になれば敵よりも、ジャングルの王様(猛獣)の方が恐い。
  丁度道すじに空き家を見つけ、一夜を過ごすことになった。
  腹がヘって来たが敵前であれば火を焚くことも出来ない。仕方なく空 腹を抱えて夜明けを待つ事にした。
  朝早々に飯の炊けるところまで引き返してきて、何気なく足を見ると 巻脚拌が赤くなっている。
  「おや」と思って良く見ると蚤ではないか。
  何百匹もの蚤を空き家から着けて来たらしく、思わず身震いがした。


先に食った禿鷹
  中隊へ帰ってきたのがお昼近くだった。
  聨隊本部から帰った命令受領者が「禿鷹」を一羽持ってきた。
  名前を聞いただけでも気持ちが悪くなる様な鳥で、羽を広げると1メ ートルもあり、曲がった觜に赤灰色をした翼を見ると、なおさら気持ち が悪くなってくる。
  この鳥は肉食でしかも動物の死体などを食べると言われ、人間の死体 など数十羽の群れで来ると、1時間程で白骨にしてしまう鳥だ。
  さすが「ゲテ物食い」の俺も、この「ドブ」臭い味には堪えられなか った。
  誰かが「ポツリ」と言った。
  「俺達も何時かはこいつの餌食になる運命なんだ、早く食べた方が勝 ちだ」。
  そうかも知れない。戦闘が始まれば、「たった今が我が人生なのだ」 そうだ、其のたった今を大事にしなければ、と思った。


チンドイン河渡河
  3月14日。嵐の前の静けさなのか、今夜はジャングルも静まり返っ ている。
  しかし相変わらず敵機の飛来が間断なく続いている。
  3月15日。
  朝から急に忙しくなって来た。まだ私物の整理をやっている兵隊もい る、指揮班へ連絡に行く者、馬の餌をやる兵隊、皆それぞれの分担に忙 しい。
  いよいよ「チンドイン河」の渡河命令が出たのだ。
  速射砲中隊も、日暮れと共に渡河点のホマリンへ集結した。
  河岸に近付くにしたがって葦が密生している。
  「タコの木」の地上5メートル程の所まで泥が付着していて、雨季に なるとここまで水位が上がるらしい。
  日没になると幾日も続いた敵機の飛来が急に途絶えた。「不思議だ」 助かった、「これを本当に(神風)と言うのだろうか」、と思った。
  河岸まで行くと、小銃隊が渡河のまっ最中である。
  我が速射砲では砲を優先に渡し、次に馬と兵隊だ。
  筏に乗せた馬は、河の中程に来ると驚いて暴れ出し、馭者が必死にな だめるが、手綱を持ったまま兵馬諸共河に落ちてしまう。船上では一斉 に「綱を離せ、綱を離せ・・・・」と、絶叫しながら兵隊を助ける。
  馬はそのまま濁流に流されて行く。弾は来ないがまさしく渡河戦さな がらである。
  「天の助けか幸か」、敵機の飛来もなく、対岸には敵もいなかった。


巨大な葦
  対岸の河辺から部落まで約1キロの間、巨大な葦が密生している。
  人間の背丈の3倍程あり、しかも強靱な葦は兵隊の足で踏み付けても 折れない。
  こんな葦の中を道を付けた先頭の部隊の苦労がしのばれた。
  (しかしこれは前日渡河した斥候隊の作業だった事がわかった)


馬も戦友
  葦から抜け出た部落には敵も住民もいなかった。
  部落の裏からはすぐ山道になっていて、前進するにしたがって道は次 第に険しくなってきた。
  道と言っても、兵隊が通ったから道らしくなっているが、住民など通 った形跡は全くない。
  その道々、「マラリヤには塩基錠」、「塩基錠を忘れずに」、と書い た札が草や木に着けてある。
  衛生隊の注意事項だったが、これが又夜行軍の道標にもなった。
  山は益々険しくなってくる。
  日頃から馬を可愛がっている赤掘市治君(柏崎市畦屋、現存)は、山 に水が無ければ馬が可愛想だ、と麓から背負ってきた水も、頂上の見えな い坂道に流石にへこたれてしまって。
  「ヨーシ、飲めるだけ飲んでくれ、後は捨てるぞ」、と諦めてしまっ た。


アラカン桜
  ジャングル内の行軍は敵機の心配がないので、翌日から昼間行軍に変 わった。
  アラカン山脈は、ヒマラヤ山脈の裾野になると言われているが、2、 3千メートル級の山々が、波打つ様に連なっている。
  我々は馬を連れ速射砲をもち、持てるだけの食料を入れた脊嚢は40 キロを越える。
  馬は平坦地では非常に役立つが、急な坂道になると全然馬の用をなさ ない。
  そこで兵隊は馬に早変わりして砲を担いで山越えするのだが、砲を担 がない兵隊は2人分の脊嚢を背負わなければならない。
  あえぎあえぎ登り詰める頂上と思ったところには、また気の遠くなる 程の高い山が待っていた。
  2、3千メートル級の山を登り切るには容易ではない。それでもへこ たれる兵隊は一人もいない。やはり若さだ。
  漸く頂上へたどり着き、汗を拭きながら眺める眼下の山々の峰に、名 も知らないピンクの花を付けた木が群生しており、谷から吹き上げて来 る爽やかな風と共に私たちの気持ちを和ませてくれる。
  古川義信君(戦死)が、「アー極楽の余り風だ」と、みんなを笑わせ ながら軍衣を脱いだ。
  (私達はこの花を「アラカン桜」と呼んでいたが後で「シャクナゲ」 という花だと聞かされた。)


頂上の飯炊き
  夕食の支度をしている兵隊が、飯がよく炊けないといって来た。
  「そんな筈がない」、と言いながら自分で炊いて見るとやはり同じ変 な飯になる。
  昔、富士山での飯はうまく炊けないと言われた事を思い出した。
  「山が高いのだから仕方がないだろう」、と半煮えのような飯で空腹 だけは満たす事が出来た。


浮いた魚
  山を下り切ると谷川があり、密林の谷間から澄み切った水が原始の姿 そのままに流れている。
  人跡未踏のこの川に住む魚は、恐らく人間の姿を始めて見て戸惑って いるのかも知れない。
  少し広い川原を見つけて休憩する。汗を拭きながら川へ顔を突っ込み 冷たい水を腹一杯飲んだ。
  魚は人間を恐れていない様子で物珍しそうに寄ってきて手や顔を突っ つき、捕まえようとすると「スルリ」と逃げる。
  伊藤中隊長は「手榴弾の投擲演習だ」と、初年兵に手榴弾を2、3発 川へ投げ込ませた。
  鈍い爆発音と共に水しぶきが2、3メートルも上がり、それが治まる と同時に川一面に魚が白い腹を見せて浮いた。
  「ソレ、流すな、」とみんな裸になって川へ飛び込んだ。
  収穫は各小隊毎に「バケツ」で山分けとなり、大休止の後また山登り が始まった。


首狩族
  一旦登り詰めた山の頂上から次の山までの谷越えは、標高は高くても 登るに楽だ。
  頂上には「チン族」の集落があり、山頂の回りには軒のない茅葺きの 粗末な三角屋根の家が建ててあった。
  家の入口には「トカトカ」に研ぎ澄ました槍が数本竹筒に立てあり、 野生の獲物を捕るためと、異部族との抗争に使うものらしい。
  十数年前までは異部族との争いに、敵の首を取って来て其の肉を食べ たと言われる、いわゆる首狩族とも「人食い人種」ともいわれ、其の地 方を訪れる人に非常に恐れられていた人種だ。
  今でも昔の名残りとして、首を形どった彫刻が家の入口の両側にたく さん飾ってあった。


焼畑農業
  高山に住居を構えるこの高地民族は文化など程遠い生活をしている。
  精悍な顔に刺青をして、跣で山を駆け登る姿はまるで獣の様だ。
  頂上付近の急斜面には、麓へ向かって焼畑農業が行われ、陸稲が作ら れていた。
  このあたりの民族はインドで一番の働き者と言われている。谷底へ水 を汲みに行くには、太い竹筒を4、5本篭に入れて担ぎ上げるのだが、 往復で半日はかかる。だから水と塩はとても大切にした。
  こんな山の上で生活をしなくても良さそうに、と思うのだが、彼等に すれば異部族からの攻撃を防ぎ、悪疫病魔から身を守る唯一の理想の地 だと聞く。


野戦倉庫
  「ウクルル」の町へ近付くに従って道は自動車も通れる程に整備され ていた。
  ジャングルの山坂を何日も歩き続けて来た兵隊は「アスファルトだ」 「アスファルトの道だ」と喜んだ。兵隊達にはこのベト(土)道もアス ファルトに見える様だ。
  持参して来た米もソロソロ底を突いて来たが、「ウクルル」へ着けば 敵の野戦倉庫があるから糧秣には心配ない、と教えられて来たのだが、 町へ入って見ると敵は野戦倉庫を焼き払って退却し、まだ煙が上がって いた。
  町といっても、こんな山岳地帯の僅かな人口の町に、先発の小銃隊が 殆ど徴発し私達には一粒の米も手に入らない。さあ、これからどうすれ ばいいのだろうか、と、心細くなって来た。
  敵も日本軍の作戦通りには事を運ばせてくれない。


インパール街道
  「ウクルル」からは道巾も広く、行軍には割合骨は折れなかった。
  しかし敵陣に近付いて来たらしく、偵察機が超低空で私達の頭上をか すめて行くが何の攻撃もなかった。
  暫く行くと「トヘマ」という所に着いた。そこは尖兵隊との戦闘があ ったらしく、道端には敵の戦車、ジープ、兵器などが放棄してあり、い よいよ来る時が来たか、と身の引きしまる思いがした。
  ここには、「コヒマ」から「インパール」方面に通ずる幹道が通って いる。道巾はさらに広くなり、何より嬉しいことに道路は全部「アスフ ァルト」の完全舗装だ。
  数十日後には死の街道になろうとはつゆ知らず、「アスファルトだ」 「これが本当のアスファルトと言うもんだ」、と誰が始めたともなく、 大地を踏みしめる軍靴の音が一斉に揃って、今までの苦労を発散させる かの様にコヒマの谷間に谺した。

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