5.馬の調達

前線基地の設営
  インパール作戦も決定したのであろうか、チンドイン河に程近い「ワ ヨンゴン」という所の部落を避け、わざわざジャングルの中に部隊は設 営することになった。敵機の爆撃を避けるためと作戦を秘慝するためで あろう。
  付近には竹が多く生えており、兵舎を立てるには好都合だった。 竹の柱にチークの葉で屋根を葺き、床と建物の回りは竹のアンペラの囲 いで何とか雨露だけは凌げることができた。
  軍隊と言うところは色々な職業や特技を持った人がおり、馬糞を穴に 埋め其の熱を利用して豆モヤシも食べることができた。


巨大な山芋
  馬の退避所を作るため山を削っていると、白い「ネバネバ」した根が 出てきた。手でさわると山芋のようだ。根をたどって見るとなんと2メ ートルもある本物の山芋であった。古川と二人で折らない様に兵舎へ持 ち帰ると皆も驚いていた。しかし半分から上の部分は筋が堅く食べられ ず余り美味しいものではない。後で方々捜して見ると至るところに生え ており、蔓の太さは人の小指ほどあり、しかも蔓には刺が生えている。
  この地方の人はこれを食べると皮膚病になると敬遠しているらしい。


生活の知恵
  文化、という言葉さえ知らぬ奥地の原住民にも、それぞれ天然資源を 上手に生かした生活の知恵がある。
  或るジャングルの大木に穴をあけ、其の樹液を竹筒に入れて灯火とし て使っている。物が無ければ必ずそれに替わる物を見つけ出す、代々使 っているのであろうが良くも考え出したものだと感心する。


再会
  馬の買い付けのため「ワヨンゴン」から退り、元駐屯していたエウー の町付近で1日休養することになって、久し振りに「タダウ」の部落を 訪ねる事にした。
  お父さんの「マンポイユ」お母さんの「マコー」、「マンコイマン」 隣の「マンポーイ」青年、みんな元気でいるだろうか、と胸をはずませ ながら訪問した。
  家の回りの垣根代わりに植え込まれた「クジャクサボテン」、緑の松 笠の様な実を付ける「オーダデー」の木、みんな当時のままだ。
  家の前まで行くと、マコーさんが私を見つけ、懐かしそうに走り寄っ て来て泣きながら、「セキグチシャン」「ピヤーレー」(病気)と言っ て私を裏手の米倉の方へ連れていった。
  病気だというが、息子でも具合が悪いのかな、と思って彼女の後を付 いて行った。
  そこには主人の「マンポイユ」さんが寝ている。日頃余り肥っていな い彼は益々痩せ細って頭は丸坊主、苦しそうな顔にも懐かしいのか無理 に笑って、「セキグチシャン、ピヤーレー」と悲しそうに言った。
  お母さんの「マコー」さんの話では、私達の前線移動後、日本軍の食 糧輸送に部落から7、8名の牛車隊に狩り出され、悪性の「マラリヤ」 に患り殆どの人が死んでしまった、との事。
  私は、これは大変だ、何とかしてやらねばならぬ、と早速背嚢から塩 基錠(マラリヤの薬)を取り出し彼にやって「ケサムシブ(心配無い) この薬を飲めばすぐ治る」、と慰めてやった。
  彼は非常に明るい顔になり、何度も何度もお礼を言った。
  私の来ていることを知った隣の青年「マンポーイ」君が訪れてきて、 私のお父さん病気です、「関口さん、シロサトクダサイ」(白砂糖)、 と彼は少し日本語が出来る。
  そうか、この人のお父さんも病気なのか、と思った。
「よし、今度持ってきてやる」、といってエウーの町へ帰って来た。


再来
  それから私達はまた方々の部落を馬の買付けに回って、エウーへ帰っ て来たのが1週間程過ぎていた。
  もう一度「タダウ」の「マンポイユ」さんを訪ねてみた。
  彼の顔色はまだ本物ではないが、病気はすっかり良くなっていて妻の マコーさんに起こして貰い、「部落で私だけが助かりました、有難うご ざいました」、と二人で何度も何度も泣きながらお礼を言った。
  国は違い人種は違っても、皆同じ地球上に生きている人間である。困 っている時助けてやるのは当然のことだ。しかも人間一人の命を救う事 ができたのだ、と思うと胸に「ジーン」とくるものがあった。
  妻の「マコー」さんは母家の方から巨大なバナナを持ってきて私に食 べるようすすめた。


約束
  私の来ている事を聞いた隣の青年「マンポーイ」君が来て、「関口さ ん嘘言いました」「私のお父さん死にました」といわれた。
  さあ悪いことをしてしまった。あの時は「マンポイユ」さんの病気の 事で頭が一杯だったので、唯何となく「今度持ってきてやる」、と言っ てしまった。
  病気の父に、せめて日本の白砂糖を食べさせてやり度いという彼の親 孝行の気持ちを踏みにじってしまった、と思うと申し訳ないやら、何と も言われぬ気持ちになってきた。
  事実私達は任務があり、今日まで来ることが出来なかったのだが、あ の時なぜはっきり其の事を言わなかったのだろうか、と後悔した。
  私は僅かだが、有り金全部香典の気持ちで彼に差し出した。しかし心 を硬くしている彼は受け取ることを拒んだ。
  困った私は、来られなかった理由を彼に説明し、このお金は君にやる のではない、お寺に上げて仏の供養をしてくれ、と、たどたどしい「ビ ルマ」語で精一杯話した。
  さすが仏教国の青年である。お寺へ上げてくれと言われ私の気持ちが 理解できたらしく、「ありがとう」「ありがとう」と言って、気持ち良 く受け取ってくれた。
  帰りに、これは普通の米ではない、といって餅米を2升程持って来て くれた。
  私は何とも割り切れない気持ちで皆の待っているエウーへ急いだ。


青春の血潮
  馬の買い付けも順調に進み馬の頭数も大分増えてきた。ビルマ人の人 夫数名を雇い、兵隊一人監視として道順通り同道し、隣部落へ行くこと にした。
  私達は裸馬に毛布を掛け、手綱を取ると思いっきり馬の尻を叩いた。
  隣と言ってもビルマの平原地は広い、かすかに見える部落の森まで2 キロは充分あり、乾季の田圃をまっすぐに部落へ向かって突っ走る。
  馬も若いし我々も若い、馬の背に胸をすり付け、大きな土手、小さな 畦を跳び越えるときのスリルに、青春の血潮が全身に漲って来る。


デジー(村長)の歓待
  着いた部落には気に入った馬はいなく村長の家に宿を取る事にした。
  我々がこの村から1頭の馬も買わなかったのを喜んだ村長は、私達を 非常に歓待してくれた。
  ビルマ料理の一番は何と言っても鶏のぶつ切り煮と言っても過言では ない。
  ニンニク、トマト、唐辛子、カレー、あらゆる物を入れて煮込む。一 流のコックさんの手にかかると絶妙な味を出す。
  アイエー(酒)も出て皆上機嫌になった。(馬の世話は勿論ビルマ人 が全部引き受けてくれた)。
  −−ビルマの農家の鶏はほとんど離し飼いで、夜になると高い木の上 で眠っている−−


珍しいお経
  さて目標の馬購入も順調に終わり、いよいよ帰隊する事になった。
  時には宿を見つける事ができず「ポンジー、チョン」(お寺)に泊め てもらうことも度々有った。そんな時には絶対に靴を脱いで跣になって 本堂へ上がり、先づ本尊様に手を合わせて何事でも良いから口ずさんで お参りをすると、「ポンジー」(お坊さん)が喜んで歓待してくれ、も ちろん精進料理だが精一杯持て成してくれた 。
  或る時ひょうきんな兵隊が、いつもの如く本尊様に手を合わせお経を 読み出した。「おや」、と思って聞いていると流行歌ではないか。本人 は真面目顔で当時戦地で盛んに唄われていた「勘太郎月夜唄」を、お経 の節にして唄っている。「ポンジー」も真面目に一緒に手を合わせてい るので私達は笑う訳には行かず、後で腹を抱えて笑い転げた。
  夕食後村人たちが集まってきて、日本のお経を教えてくれと言われて 困った、と彼は笑っていた。


虎除けの炬火
  1ヶ月に渡りのんびりとした馬の買い付けの帰路も、ジビュー山系に 入ってからは一変して険しい山道となってきた。
  私達が馬購買班として出発した、ワヨンゴンの部隊は既に前線へ移動 しており、兵舎も敵機の爆撃で跡形も無くなっていた。
  ワヨンゴンを過ぎてからビルマ人の先導で、近道だと教えられた山道 に入ってきたが、いつの間にか道を見失って谷川に出てしまった。
  ジャングルの日暮れは早くすっかり暗くなってきて、もう引き返す事 もできない。
  ビルマの人夫は夜になると「虎」が出るから行軍はいやだと渋る。
  さりとてこんなジャングルのなかの露営はなおさら危険が多い。
  嫌がるビルマ人を説得して枯竹で炬火をつくり一晩中歩き通し、漸く ジャングルを抜け出すことができた。
  いやはやとんだ近道になってしまった。


焼けた飯盒
  私達が部隊に追及した所は「カウンカシ」と言う地で、ジビュー山系 の末端チンドイン河に近い所だった。
  山系に降った豪雨が土砂を流し、谷というか、天然の防空壕といった ところだ。
  部隊と合流した気の緩みか、朝まで何も知らずに眠ってしまった。
  誰か大きな声で怒鳴っているのに目が覚めた。
  「I、今日は一日飯はお預けだ」
  「ハイ」
  「明日から何で飯を炊くんだ」
  「ハイ」
  叱っているのは同年兵のA君、不動の姿勢で立っているのは補充兵応 召の私達よリ年上の、I一等兵だ。
  炊飯の水が少なかったのか、飯盒の底に穴を開けてしまったらしい。
  軍隊という所は年より食器の数だといわれる言い伝えがある。しかし 一旦戦闘が始まればそんな事は通用しない。


虎騒動
  この付近は竹薮が多く、時々虎や猪の出没が多く不寝番は専ら焚火を 切らさないのが任務となっていた。
  或る夜、異様な物音に不寝番が駆けつけると、馬が2頭虎に殺される という事件があった。
  それ以後夜間の行動は炬火を持ち、二人以上で行動する様厳しい通達 があった。


ジャングルの鳴き声
  今日もいつもと同じ爽やかな朝だ。
  ジャングルは陽が高くなるにつれて賑やかになって来る。
  東の山から「キャーン」とも、「クワーン」ともいう鳴き声が聞こえ てくる。
  朝食の時其の事が話題になり、鳥の声と、猿の声と意見が分かれ、偵 察に行く事になった。
  山を二つ越えた稜線の向う側らしい。それぞれ小銃を手に稜線に這い 上った。
  稜線上に僅か頭が見えかかった瞬間、「キャーン」と言う一声に木の 上から「ドドー」と猿の一群が逃げ去った。
  のどかに遊んでいる様に見える猿の仲間にも、外敵を警戒する歩哨が 立っている事を始めて知った。
  あの死闘の地「コヒマ」へ出撃直前の、のどかな朝の出来事だった。

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