12.両脚負傷

深夜の砲受領
  12月に入るとまた敵の攻勢が始まった。
  聯隊本部より兵器受領にこいとの連絡があり、佐藤康二、渡辺正八、 他、私を含め6名は、速射砲を受領のため日没と同時に牛車3台に分乗 して壕を出発した。
  その夜のうちに砲の受領を終わり帰隊する予定だったが、夜の事とて なかなか兵器廠が見当らず、ようやく到着したのが午前3時頃だった。
  砲を受領し牛車に積み込みが終わった時には既に東が白んできた。敵 前での白昼行動は危険だ。仕方なく陽の沈むのを待ち兼ねて帰路につい た。
  昨夜来た道と同じ道を帰るのだが、月影に浮き出る砂糖椰子の群生、 見上げる様なサボテンの木など何処を見ても同じ地形に見えて、出発し た壕を捜すに時間がたってしまった。
  ようやく目的の陣地を見つけた時にはやはり夜が明けかかって来た。
  壕の回りは静かだ。
  「変だな、壕を間違えたかな」、と思っていると誰か一人飛び出して 来た。「あー井上だ、井上源治だ」、
  「中隊はどうしたんだ」、と聞くと彼は、
  「本隊は今夜後退して、俺に残って皆が来たら本隊へ誘導して来い、 と言われ皆の来るのを待っていたんだ」、と言う。
  しかし、よくもたった一人で残っていたものだと、感心した。
  だが既に夜は明けてきた。皆と相談して日中は危ないから日没まで待 つことにした。
  牛車には枯れ草で偽装して壕の中へ入った途端、敵陣の方から戦車の 音と機関銃の乱射が始まった。
  「もう来たか」、と敵方を見ると、火焔放射器が真っ黒い煙を吐いて 点在するボサを片端から焼き尽くしている。
  「駄目だ逃げろー」
  「見つかると危ないからビルマの格好して逃げるんだ」、と怒鳴りな がら私も牛車に飛び乗った。
  裸になり、頭に白いターバンを巻き、腰にも白い布を巻き付けて牛の 尻を叩いて逃げた。
  しばらく行った所に水溜りがあった。それを見付た牛は、私の引く手 綱を無視して水の方へ突進して行き、泥水を夢中で飲んだ。
  兵器廠を出てから兵隊も牛も、一滴の水も餌も食べていない。私はあ せる気持ちを押さえながら腹一杯飲ませてやった。
  少し行った薮の中から兵隊が一人飛び出して来て、いきなり「ビルマ ビルマ」、と牛車を呼び止めた。「どうしたんだ」、というと、兵隊は 驚いて、「あー兵隊さんですか」と言った。
  本隊からはぐれた兵隊らしく、聯隊本部のいる方向を教えてやった。
  黒い顔にターバンを巻き、ビルマ人に見られても仕方がない。これで 敵に見つかる心配はない、と安心した。
  お昼近くに本隊へ追及することが出来たが、危うく敵と友軍に挾み撃 ちにされるところだった。友軍の逃げ足の早いのには驚いた。
  その夜は前後不覚に眠ってしまった。


忙中の閑
  翌朝はもう敵の砲弾が迫って来ている。
  中隊では陣地構築、タコ壷堀りに忙しい。私と井上は、昨日からの疲 れもあって、陣地から少し離れたボサの中に待機していた。
  もう何ヶ月も風呂に入らず、水浴もしていない。
  二人で裸になりシラミ取りを始めた。その後メンタームの蓋で背中を こすってもらった。誠に気持ちがよい。
  「関口、貴様の背中はどうしたんだ馬の背中よりひどいよ」
  「何をいうか、貴様のはどうだ」、とさわってみた。
  いや、ひどいなんて物ではない、背中一面簿紙を張ったようで、さわ れば剥がれ落ちる。
  すっかり気持ち良くなった二人は草の上に寝ころがり、当時初年兵が 内地より持って来た流行歌を、

       影か柳か勘太郎さんか
                   伊奈は七谷糸引く煙
         捨てて別れた故郷の土に
                   しのぶ今夜のほととぎす

  「忙中閑アリ」で思いきり大声で故郷を偲びながら唄っていた。
  すると、何物かが凄い音を立てて草をなぎ倒して行った。
  「不発弾だ」
  敵の砲撃が活発になって来た。
  「オーイ危ないから壕に入ろう」。
  と二人は慌てて陣地の壕に飛び込んだ。


イラワジ会戦
  サガインヒルから撤退した聨隊は、イラワジ河左岸で敵の進撃を阻止 する、イラワジ会戦と云う作戦に転換する事になった。
  民家から川端まで4、5百メートルほどある。土地が肥えているのか 作物の育ちがよく、長葱や薩摩芋、特に玉葱などが多く植えてあった。
  川砂のせいか各所に井戸が掘ってあり水を汲み上げて畑の中に流して いた。
  井戸水は塩分が多く飲用には適さないので、敵を警戒しながらイラワ ジ河まで水を汲みに行くのだが、静かな夜は敵も対岸で何かやっている らしく話声が聞こえ、不気味さと緊張感が身体の中を走る。
  夜明けとともに又敵の砲撃が始まる。そんな日が2、3日も続くと、 対岸の敵の様子に変化が起きて来て、下流の方へと砲撃目標が移動して 行った。
  対岸にいるとばかり思っていた敵が、突然下流の陣地に戦車が出没す る様になって来て激しい戦闘が始まった。
  前方の敵を警戒しているうちに完全に後方を包囲されてしまったらし い。
  現陣地を放棄して後方へ下がる様に、と聨隊命令が出た時には既に完 全に包囲され、抜け出す隙もないありさまだった。
  暗夜を利用して撤退するのだが、行く所どころに敵の匂いがして歩く 音さえ神経を使う。


戦車に追われて
  タマビン付近まで退がって来た部隊は、夜明け前に設営する事になっ たが辺りは全然林のない平坦地で、皆それぞれやっと身の隠れるボサを 選んで宿にし、私達、古川、井上、佐藤(康)、関口など牛車の運転者 は、中隊より少し離れたボサの中に設営した。
  イラワジ河畔を撤退してから2、3日殆ど米の飯を食べた事がない。 幸い今日は近くに民家があり久しぶりに飯にありついた。
  私達が民家にいると、一人のビルマの青年が遊びにきた。何をしに来 たのか分からないうちに出て行った。
  すると井上源治が、「今来たビルマが俺の薬盒から小銃弾を抜き取っ て行った」という。一体何のために小銃弾を持って行くのか不思議でな らなかった。
  民家にいると敵の目標になるので近くのボサで寝ることにした。
  すると又、別の青年が二人でボサの中を見ながら薄気味の悪い笑いを する。「トアメ、トアメ(行け、行け)」と追い返す。
  東の空が白みかけてきた。付近に点々とある民家からビルマ人が逃げ て行くのが見える。
  「変だな、彼等の行く方に敵がいるのではないか」、と胸さわぎがし た。
  腹こしらえは出来たし、連夜の疲れもあり、早く寝ることにした。
  「フル」(古川義信君の事を私達はこう呼んでいた)
  「お前は一番早く下士官になったのだから、今日はお前が不寝番一番 立ちだ」と言うと、古川は笑いながら、
  「よし俺が一番立ちとするか」と身支度を始めた。
  井上は更に、「もし戦車の音が聞こえたらすぐ起こすんだぞ」と言っ て、彼一人を不寝番に立てて何時でも応戦出来る態勢で背嚢枕に寝た。
  横になったものの寝付かれぬ耳にまたもや戦車の音がする。
  「フル、戦車じゃないか」、「うん戦車だ」と彼は悠然と音のする方 を眺めている。
  井上は、「戦車が来たのになぜ起こさないんだ」と怒鳴った。
  古川は、「何処へ行くか確かめているんだ」と悠々としている。
  俺達3人は飛び起きボサの隙間から音のする方を見ると、戦車は1台 や2台ではない。
  しかも古川の見ている戦車とは別の戦車が、我々の方に向かって射撃 の準備をしている。
  「駄目だ逃げろ」
  誰ともなく叫ぶと井上が飛び出して行った、私が後を続いて出ようと すると、頭上に飛行機が飛んでいる。
  「下駄だ、もう少し待て」(戦車を誘導する軽飛行機で形が下駄に似 ているので俺たちはこう呼んでいた)
  その間数秒であったか、戦車からは猛烈に火をふき出して来た。
  弾着はあきらかに俺たちを狙っていることが分かる。今朝来たビルマ がこの戦車を誘導して来た事には間違いない。
  「行くぞ」
  今度は佐藤が先に「ボサ」から「ボサ」へ伝わって飛び出し、私も後 を続き、最後に古川が飛び出した。
  2、3十メートルほど走った凹地に佐藤がヘバリ付いている所へ私も 飛び込んだ。少し遅れて古川が来た。左手に小銃を持ち、右手からは赤 黒い血が軍衣を伝わっている。
  「右手をやられた」と言う彼の、苦痛をこらえる髭だらけの顔は真っ 青である。
  責任感の強い彼は、負傷しながらも兵器である小銃を左手に持ち替え て走って来たのだった。
  敵の戦車からは狂ったように撃ちまくって来て、ちょっとの身動きも 出来ず、古川の傷の手当をしてやることも出来ない。
  今来た方を見ると、敵は火焔放射機で私達のいた「ボサ」を焼き払っ ている。
  「そんな小銃なんか捨てて行け、逃げるに邪魔になるから」、と言う と、「わかった」といって古川は其の場に小銃を投げつけた。
  弾の間断を利用して佐藤が先に、私が次に飛び出そうと腰を浮かした 瞬間、両腿をムチで打たれた様な熱さを感じた。
  「やられた」、と思ったが夢中で走った。
  またもや機関銃の掃射である。「危ない」と伏せた地面に先に飛び出 した佐藤が、やっと身を隠せる凹地に伏せていた。
  敵の狙い打ちだから、まったく前後左右弾は耳をかすめ、周りは土煙 を立てている。
  「俺は両脚をやられた」と言うと、彼は無言で私の顔を見詰めた。
  「おい、一緒に死のう」と、突然言い出した。
  「こんなに包囲されていてはとても逃げ切れん」「まして脚をやられ たお前一人を残して行く訳には行かん」、と腰の手榴弾を取り外し発火 しようとしている。私は咄嗟に彼の手榴弾をもつ手をおさえた。
  「俺は両脚をやられてもお前の行くところへは付いて行ける」
  「途中でやられるならば仕方ないが、とにかく逃げられる処まで逃げ よう」。
  私は彼の戦友愛に感謝しながらも、「こんな処で死んでたまるか」、 との思いが頭にいっぱいだった。
  「よーしお前がそう言うなら行ける処まで行ってみよう」と、彼は安 全栓を抜いた手榴弾を其の場に捨てながら、「フルはどうした」と言っ た。
  「俺の後からすぐ来たわけだがなー」と振り返って見たが、古川義信 の姿は見えなかった。


出血多量
  古川の事が気に掛かりながらまた其処を飛び出した。
  脚が痛い。出血が多いのか身体がふらつく。
  足がガクガクして走れない。
  心臓が苦しい、目の前が見えなくなって思わず倒れる。
  こうしてはおれん、と又起き上がって走る。
  機関銃の弾が頭上をかすめて、「ピュウ、ピュウ」と音を立てながら 飛んで行く。
  走るたびに腰に下げた図嚢が負傷した脚を叩くので尚痛い。
  (図嚢は中支より持ってきたもので、ビルマで手に入れた象牙のバイ プ、象牙の印鑑、財布、貯金通帳などが入っていて、何時でも身体と一 緒に行動出来る様にしてあった)

  「こんな物を持っていては逃げ切れない」と思いきり遠くまで投げつ けた。
  喉が渇く、舌がくちびるの上下にひっついて仕方がない。
  「もう走る体力も限界に来た」
  「こんな苦しい思いをしてまで助からなければならないのか」
  「もう弾も戦車も何も恐くない」
  「よーし、弾が当るものなら当ってみろ」、と覚悟をきめ、唯運を天 にまかせて、気持ちだけはあせるのだが、歩くようにして走り続けた。


戦友愛
  ようやく椰子の茂る林にたどり着いた。もう戦車の音も大分遠くに聞 こえる様になって来た。
  少し行くと、佐藤康治と真っ先に飛び出した井上源治も一緒に私達の 来るのを待っていてくれた。
  「助かった」と思った途端、脚の痛みが一層激しくなって椰子の木の 根本に倒れるように腰をおろした。
  そこで始めて脚の傷を見た。両脚とも腿のつけねあたりで、左足はザ クロのように口を開け、青や白い筋が飛び出している。
  腰から包帯包を取り出しズボンの上からしばり、片方は手拭いでしば りつけた。
  後ろを向いて椰子の木に寄りかかっていた井上が、「フルはどうした んだろう」と心配してつぶやいた。
  「俺と一緒に飛び出したのだが、又やられなければ良いが」、としば らく待ってみたがとうとう古川の姿は見えなかった。
  付近に井戸があった。
  夢中で走って来たのと、出血のため喉が渇いて仕方がない。
  なまぬるい水だったが、何物にも替えがたい味がした。
  古川の事が気に掛かりながら長居も出来ず、後ろを振り向きながら3 人は出発した。
  少し行くと小銃隊数名と出合った。戦闘にはベテランの小銃隊と一緒 になった事で心強さを感じ行動を共にした。


間違った友軍
  椰子林も過ぎ、また平原地に出た。四囲を警戒しながら進むと前方か ら小銃を担いだ兵隊が近付いてくる、小銃隊の曹長が「友軍だ日の丸を 出せ」と指示をする。
  その言葉の終わらないうちに誰かが「ゴルカだ逃げろ」と叫んだ。
  皆一斉に左のわずかな丘をかけ登った。
  それに気付いた敵の一斉射撃が始まったが、幸に弾も散発的で機関銃 はなかった。
  しばらく行くと、椰子の木や周りに茂みのある少し大きな凹地を見つ けた。
  時間はまだ午前10時頃だが敵の包囲網の真っ只中にいる模様だ。
  もはや日中行動は危険だ。私と、もう一人の負傷者を中心にして円形 を作り、四囲の警戒にあたった。
  小銃隊の曹長は「ここで夜になるのを待つ事にしよう」「もし我々を 発見したものは誰でもかまわぬ殺してしまえ」、と言った。
  茂みの西側は道になっているらしく、ジープや戦車が頻繁に通り、時 には何やら英語らしい話し声も聞こえる。
  全身を耳にして身動きも出来ず、胸の鼓動だけが伝わって来る。
  しばらくして二人のビルマ人が、椰子の水を取りに来た。
  我々を見付け一瞬びっくりした様だがすかさず呼び止め、ビルマ語の 得意な曹長は二人に何やら盛んに話していた。
  「オーイ、このビルマを放してやろうか」と言う。
  「なんて事を言うか、もし敵に密告されたら大変な亊になる」、殺せ 殺せ、と皆に反対された。
  しかし曹長は、「このビルマ人は近くの村のデジー(村長)なんだ」 「話して見ると我々に好意をもっている様だ、飯と水を持って来ると言 っているから、どうか俺に任せてくれないか」、と我々を説得する。
  水筒の水はカラカラ、逃げるにしても腹がへってはどうにもならん。
  半信半疑で二人を放してやる事にした。
  果たして我々の思い通りになるかどうか、確率は50パーセントあれ ば最高だ。もし敵を連れてきたら全滅になる。
  あれこれ考えているうちに1時間は過ぎた。すると人の近付く気配が する、皆一斉にその方へ銃を構えた。
  顔を出したのはさっきのデジーだった。デジーの後から続々とビルマ 人が頭に篭を乗せて集まって来る。篭の中には飯、水、バナナ、ババイ ヤ、椰子の水、思いもかけない贈り物に、さっきまでの疑いを申し訳な い様な気がしてならなかった。
  私はビルマ人の素朴な気性が好きで今まで可愛がって来たつもりだ。
  私はたどたどしいビルマ語でお礼を言うと、彼等は「ケサムシブ、ケ サムシブ」(心配ない、心配ない)と云って私を元気付けてくれた。


脱出行
  ようやく陽が沈みかけて来た。
  敵中の凹地は本当に長く感じた。全神経を使い果たし緊張した一日は 数十日も過ぎた様な気がした。
  村長の好意で若者を一人道案内に付けて、敵のいない処を縫って夜道 を脱出する事になった。
  電話などないこの地では伝令が唯一の連絡機関である。
  若者は村長の命令で隣村まで案内してくれた。そこの村長に事情を話 し、村長も心良く承知してくれ、別の若者に案内させてくれた。
  それから次々と引き継がれ、難なく敵中を脱出する事ができた。
  東の空が白みかけてきた、私達は若者にお礼を言って帰ってもらい、 聞かされた東南の方向へ向かって歩き続けた。

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